Bien-être

介護終了・子育てもほぼ終了で、やっとこさ時間ができたため生き方を「哲学する!」ブログを始めます。ブログタイトルの「Bien-être(ビヤンネートル)」とは、フランス語で「頭も心も体もここちよくいられる状態」のこと。おフランス風Bien-êtreの視点から考える暮らしのつぶやきとADHD息子を中心とする教育の問題が中心。

何があっても親に潰されない子

最近の子育て業界では、「毒親」とか「親に潰されるいい子」とかいう子ども弱者的言葉が溢れているが、どうもうちの息子にはピンとこない。というか、たいていの子どもは「親に潰される」ことなく道をテキトーにはずすエネルギーを密かに持っているもんだと私は信じている。(昨日の講演会で、明らかに睡眠障害なのに病院に行こうとしない高校生を病院に連れていくにはどうすればいいか?という相談があったから、言うことをきかないやつはゴロゴロいると思われる。)

まあでも一般的なことはよくわからないので、とりあえずうちの息子に限ることにするが、彼は何があっても親に潰されない子どもである。なぜなら、親の言うことはぜ〜んぜん聞かないからである。そして、有り余るエネルギーを発散させおバカ息子(自他ともに認める)をしっかり演じてくれているおかげで、私は「私の子育てが間違っていたのかも…」などという甘っちょろい反省の余地を与えられることがなく暮らせている。考えてみれば、その意味では親孝行な息子である。

例えば、下の記事は私の中では永久保存版に値するかなり秀逸な笑えるものであるが、この中の留年野郎たちは、留年のメリットとして『親に一発かませる』というのをあげている。

 

time-space.kddi.com

「親は無条件で子に期待しています。そういう親に対して『子育てはそんな簡単にはいかねえぞ!』ってことを示すことで、適正な評価を下してもらえるんです」。

という言い分であるが、通常はこの発言を聞いて、人はなぜか「親の育て方が悪い!」とは思わず、「なんだこの馬鹿野郎!親の心がわからないのか!」と思うであろう。この場合、金銭的被害を受けている親の気持ちに世間が寄り添うことができるし、アホな子どもをもって気の毒にという憐憫の情も世間から引き出すことが可能だからである。

そして、意外なことに、何か心の闇が彼の中にあるのでは……という優しい心配をぶっつぶすくらいのこういったアホさ加減は、見方を変えれば自分にも社会にも他人に優しい(誰の責任も問わない)ものであり、「毒親」とか「親に潰される」とかいう次元を超えるハートフルな結論を導き出す。

 

ADHDの説明:

「…周りからの期待に沿わない行動は、非難の的になりやすく、注意されても変わらないので、やる気がない、我慢ができないなどと指摘されがちです。保護者も、養育の間違いなどとして非難されがちです。」(「熊本市発達障がい者支援センター」HPより。)

 

本人も親も「非難」されてもな〜んとも思わない場合、それは、障がいを乗り越えることに結びつくのか?

 

「非難されがち」で苦しんでいるのだから、あなた方の善意でもって助けてあげましょ〜、お薬の力もかりてわれわれの社会で適応させてあげましょ〜という柔らかなほのめかしではなく、

 

「…周りからの期待に沿わない行動は、注意されても変わらないので、やる気がない、我慢ができないなどと指摘されがちですが、あくまでも障がいであるのでそれを非難するような人は、ものごとの本質から目をそむけ、Think differentができない前時代的な人間です。保護者に対して、養育の間違いなどとして非難するような人は、障がいのメカニズムを理解せず、ダイバーシティを許容できない非国際的な人間です。そう、あなたは違うよね。Think different !」

とどうせならジョブズあたりに語らせて、これが時代の最先端の考え方だ!みたいにまくしたてれば、きっと世間はもっと優しくなるであろう。(と、なにかが違うよねおそらく……と思いながら書いている。)