Bien-être

介護終了・子育てもほぼ終了で、やっとこさ時間ができたため生き方を「哲学する!」ブログを始めます。ブログタイトルの「Bien-être(ビヤンネートル)」とは、フランス語で「頭も心も体もここちよくいられる状態」のこと。おフランス風Bien-êtreの視点から考える暮らしのつぶやきとADHD息子を中心とする教育の問題が中心。

今日はなんだか不登校について考えるDay。

最近、我が家のADHD不登校大学生についてイロイロ検索するので、Googleさんが自動的に不登校がらみの興味深いリンクを運んできてくれる。その中で考えたこと。

まずは、最初にコレ。

note.muこのnoteによると、学校に行くと以下の3つの点で得をする。

1. 人的資本投資(頭がよくなる)

2. 人的ネットワーク

3. シグナリング(人にこんなに頭がいいんですよ!と示すことができる)

教育を経済学の言葉で語ると、内田樹センセーがとんできて「このバカ親めっ!」と怒られそうだが、まあ、上の理屈の方がシンプルでわかりやすいというのは確かである。(そう、今回は、ゴチャゴチャ言わずに、わかりやすいという点だけであえて評価します。)

で、2つめのnote。

note.muこれによると、現代はこの「シグナリング」の効果が、様々な経歴など学歴以外の部分で結構代用できるということが指摘してある。なるほど。

そして、この記事。これは、もう本当に素晴らしい記事。

dot.asahi.comで、分析。我が不登校息子は、大学ではなく別の分野で驚異的な人脈を築いている(人的ネットワーク)、とりあえず彼にはもったいないくらいの大学に合格しているため、たとえ中退したとしてもそれなりのシグナリング効果は現時点でも持っていて、さらに、学歴以外の場所でも能力を示すことができる可能性は秘めている。(そう、秘めているだけだが。)

再び考える。順調に大学に行って楽しく過ごし卒業すると、得られるのは何か?「もっと金が儲かりそうな人的ネットワーク」と「もっと金が儲かりそうなシグナリング」である。さてさて、私はそこに固執しているのだろうか?

それは、ouiでありnonでもある。なぜなら、私が彼に学校に行け!と強く願っている割には、この2点に関する熱量は「まあ、あるに越したことはないけど、無くても死なないからいいっか。」レベルである。しかし、そうした考えに反して、大学に行けよコノヤロー!ともっともっと強く思っている。このココロはなんなのか?

で、明らかになった。私は、彼に、1. 人的資本投資(頭がよくなる)が彼の人生において圧倒的に足りないと感じているのである。そう、きちんと読書をしたり、動画やネットでコツコツ学んだり、そういうことができる人には、この時代学校なんか必要ない。でも、一人ではことごとくグータラであるが、洗脳はされやすいので誰かにそそのかされると途端に好奇心旺盛になる未熟男にとっては、面白い話をして常に刺激を与えてくれる優秀なセンセーが必要なのである。そして、その刺激をいくらなんでも4年以上受け続ければ、ちっとは頭がよくなるのではないかと考えているのだと。で、一番大事なこと。この投資をするのは、私ではなく、自分なのだということをなんとかわからせないと〜ということがわかった。以上、母親だけの学び。